2008年12月31日

分析家の独り言 180 (2008年を振り返って / 宣照真理のセラピー日記へ移行のお知らせ)

2009年を振り返って、今年は試練の年だった。

3月に京都から滋賀県大津に引越しをし、新たな土地で環境を変え仕事に取り組んだ。

私の人生の中での大きな転機となった。

自分を試す機会であり、自立と生き直すための大きな一歩となる年であった。

人は生き直すように住み替える。

精神分析をより多くの人に知ってもらいたいと、できる限りブログ(天海有輝のセラピー日記)を書いた。

クライアントの中には、「ブログを全部印刷して読みました」とか、「来る前にブログを全部読んで来ました」という人たちがいて、それがまた私の励みとなった。

また、ラカン精神科学研究所のHPを見たと言って、分析の依頼もいただいた。

クライアントから教えられることも多い一年だった。

クライアントを分析しながら、自分を分析しているようなものだと思うことや、クライアントと共に喜んだり、哀しんだりし、癒されもしたように思う。

自分なりに頑張ったと言えるいい年だった。

来年はさらにもっと向上、発展、成長めざし、残された人生をかけて、人として行けるところまで行きたい。

なお、「天海有輝のセラピー日記」は、インテグレーター名改名に伴い、来年2009年より、「宣照真理のセラピー日記」に移行し、新しくなります。


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宣照真理のセラピー日記

2008年12月28日

金谷氏今月のメッセージ (平成20年12月)

(以下は分析家仲間の金谷氏のHPにある金谷氏の今月のメッセージを私のブログで紹介しているものです。)

タイトル 「導かれて」

今年を一文字で表したら「変」と発表された。
 辞書で引いて見ると「異常な出来事、社会的な事件が起こる事、政変や動乱などの発生」「事態が移り変わる事」「普通でない様怪しいさま異常奇妙」「思いがけないさま」とある。
確かに異常な出来事が多かった。良い方に変化していくと言う「変」ならば歓迎だがだんだんと悪い方に向かっている。では、私の今年を文字で表せば「導」と言える。
 年頭は長年の夢であった伊勢神宮への初詣が出来た事だが、しかし宿泊場所を探すのが大変で、ほとんどが宗教団体やツアーが早くから抑えている為、いい所・希望のところは全然なく、ビジネスホテルがかろうじて一つだけ空いていて、何とか確保に至った。
お参りが目的であったから、天梅雨をしのげれば良いと思い決行した旅だったが、想像を絶する最悪の状態、食事と言えばファミレスの方が上等だと思える貧相なもので、部屋は暖房が効かない。その為に、はじめから毛布が一枚余分に置いてあった事が後になって頷ける。
これが嬉しい事に正月料金である。一次的に悔しさと怒りが出てきたが、誰にそれを向ければ良いのかと思った時に、私は今何処にいるのか何をしに来たのか?
贅沢な生活をしているに感謝をしていない、当たり前だと思っているその傲慢さに一撃を加えられた気がした。分析を受ける目的は何か?
 自立した人間になる為である。
普通に言えば「どんな世の中になっても、生きていける強い人間になる」年頭にその厳しさを身をもって教えてもらった。
 そうして挑んだ今年でしたが、しかし現実は裏腹に、徐々にクライアントが増えて昼食をとる暇もなく、朝から夜までぎっしりに成る程求めてこられる事に充実感と喜びを感じ、分析者冥利に尽きると同時に、この仕事を選んでよかったと一人感激した。
大変な年になると覚悟した年頭であったのにどんどん幸せになる。
 他にも、恩師が毎年開催しているインテグレーターサミットに参加した時の事、そこには、同じ様に分析を仕事として始めている仲間が増え、共に参加出来た事に頼もしさと喜びを感じた。
当研究所も、9月に研修会を開催し、その内容と感想を「今月のメッセージ欄」に記したとおり、自ら学んだものを伝えた結果としてそれを目の当たりにして、ここでも感動し喜びを感じた事はそうとおくはない。
 もっとすばらしい事は、10月に出雲大社に参拝できた事。
ここは年頭の伊勢神宮と反対に天候良し、食べるものは、地元の方を伴っての旅でもあったので御蔭様で本当に美味しいものを頂く事が出来たし、又その上新たな出雲の立場を理解出来た事は感動でした。
 これらのことは自ら計った事のではなく、「何かに導かれるがごとく」と言った方がぴったり来る。
私のクライアント達も、アロマティシャン・パティシエ・フラワーコーディネーター・司法書士など、どんどん自らの行く道を決めて新たな道を進んで行っている。
こんな幸せな事はない。
私の力だけではこんなに上手く行かないであろう。それ以上の何かが・それこそ導かれているように思う。
 個人的なことですが私は小田和正が大好きで、彼のライブには必ず行く。
今年は初めてアリーナ席で、おまけに目の前に来て2曲歌ってくれた。その歌声に癒され、歌詞に感動し、幸せな一時を味わった。
まだある、12月の私の誕生日に最高のプレゼント「EXILE」のチケットが何とか手に入れることが出来、それも会場・京セラドームのアリーナ席だった。
喜んでいくと、舞台は外野で私の席はホームベースのそば(それくらい遠い)・でも充分だった。
 ところが途中、直ぐそばの鉄塔で何かごそごそしているスタッフたちがいると思いきや、そこに彼らが登場、この電撃サプライズに感激し思わず「タカヒロ!マキダイ!」と叫んでしまった・・・・・・おじさんは少し我に帰りかけたが、そのままとても幸せな時を楽しんだ。
 小生は、来年60歳還暦を迎える。父は33歳の若さでこの世を去った。その父の分まで生きようと思いここまで来た。今はとても幸せである。
父は私の本名「章吉・しょうきち」と名づけた。吉が付く人は、皆偉い人が多い。多分「福沢諭吉」のようなイメージを持っていたのかもしれない。・・・・・・・・でも私は、何か呉服屋の丁稚の様で好きになれなかった。
恩師が、この度出版した「運命は名前で決まる」の本にもあるように”名前は父の祈りである”こういう風に育って欲しい・こういう人間になって欲しいと父の思いが込められていると解った。
 そこで私なりに父の思いを分析をしてみた。
「章吉」と言う字を「立」「早」「士」「口」と分解して解釈出来る。「立」は自立、「早」直ぐに・無駄な動きをせず素早く行動化する。「士」は武士の事であり、勇気有る者・潔い行動・命がけで守る。辞書によれば、男子。特に学問・道徳を修めた男子について言う。弁護士・建築士等。医師・教師ではない。
「口」は語る。分析である。
まさしく、父は分析者として早く自立して欲しいと強く願っていたのではないか。
 60歳は本卦がえりと言って、干支が60年経つと一回りして、元に返ると言われている。60年の人生色々辛く苦しい事もあり、過ぎた人生の中でここと、ここの部分を切り取りたいと思うところもある。でも何に導かれたのかは分からないが、今はとても幸せである。
何者かに導かれたこの人生、分析者として新たに一に返りクライアントと共に「享楽」を目的として生きて行きたいと思う。

金谷精神療法研究所

所長  真理攫取

分析家の独り言 179 (刺青の意味)

若いこたちの間に刺青を入れることが流行のようになっている。

少し前テレビで見たのだが、若いときに刺青をいれた女性が、結婚し母っとなった。

子どもをお風呂に入れたり、プールにつれて行くこともある。

そのときに刺青を入れたことが後悔される。

ひと昔前は、刺青といえばその筋の人がするもので、素人の一般庶民にはあまり馴染みのないものだった。

それが若いこたちが、気軽にかっこいいと思うのか、刺青を入れる。

分析的にいうと、刺青=刻印、マーキング。

子どもは母に抱かれることで、その接触した皮膚に、母に触れられた心地よさがマーキング(印がつけられる)される。

それがもとになり、後に大人になって、皮膚接触を求める。

つまり子ども時代の母とのあの皮膚接触の心地よさを、もう一度異性と味わいたいと肉体交流を求める。

そのマーキングが極端に少ないと、肉体的接触を求めない。

それは彼氏、彼女をつくらない、つくれない、結婚しない、SEXレスになるなどの行為となるだろう。

クライアントのなかにも、「触られると気持ち悪い」という人がいる。

この言葉で、マーキングの具合がわかる。

刺青は痛みと共に皮膚に刻印し、マーキングする。

本来は母に優しく抱っこされて、心地よさや快感がマーキングされるが、刺青は逆にこんなに私は触れられていませんということの表現となる。

しっかり子どもを抱っこしましょう。

人に預けるのではなく、母の皮膚で包むことに意味がある。


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2008年12月27日

分析家の独り言 178 (不登校・ひきこもり 言えない、出せない、動けない)

人は言いたいことが言えずに病んでいく。

不登校やひきこもりの子たちもまた言いたいことが言えない。

家族や友達やまわりの人に。

なぜそうなってしまったのか。

その大元はどうしても母との関係に遡る。

人は育ってくる中で、最初の対象である母と関わり、人間関係の基礎を学習する。

このときの関わり方がその人のその後の人間関係を決定付けるといっても過言ではない。

もちろんその後、父の存在も影響してくるが。

人が言いたいことを言えるのは、言った相手が自分の言うことを受け入れてくれるからだ。

特に小さい子にすれば、「ああそうだね」「それはいいね」と肯定されるから言いたいことが言える。

それを、「だめだ」「わがままだ」「贅沢だ」と否定され、拒否されたら言えなくなる。

そのうちに、どうせ言っても無駄だ、言っても仕方ないとあきらめていき黙る。

このときこの子は、親や大人にとって扱いやすい、都合のいい子になる。

と同時に、自分の主体性を放棄した。

そういう子は、学校で友達や先生にも言いたいことが言えない。

嫌なことをされても、「いやだ」と言えず、笑うしかないかもしれない。

こういう子はいじめられるだろう。

言えないと同時に、こうして素直な自分の感情も出せなくなる。

こうなると、もう主体性はほぼなく、ついには動けなくなる。これが不登校、ひきこもりの状態である。

自分のしたいことを、親の価値観にあわないと方向を変えさせられる。

身体の欠点を親に指摘され、それ以後それが気になって仕方がない。

失敗を責められる。

威嚇や暴力で無理やり言うことを聞かされる。

もともと適切に世話をされない、関心を向けられないだけでも、子どもの心は育たないが、

様々なマイナス要因が加わる。

こうして自信を持てずに傷ついた子どもたちが行き着く先は、もう何も言わないこと、何もしないことである。

そうすれば、もう文句を言われることも、非難されることもない。

何もしなければ失敗することもなく、失敗を責められることはない。

あるひきこもりの青年に母親がオールOKの対応を始め、「何かして欲しいことはないか」と聞いた。

彼は「未来が欲しい」と答えた。

学校へ行く自信も、働く自信も待てず、明るい自分の未来が欲しいということだろう。

自分への自信を持ち、言いたいことを言えるようになり、人と関わり、社会参入できるようになるために、オールOKし育てなすことである。

親に何でも言えるようになり、感情や様々な行動(例えば、攻撃性の放出としてドラムを叩く)として出せるようになると動き出す。


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2008年12月24日

年末、年始開所日のお知らせ

ラカン精神科学研究所は、年末は12月30日(火)までです。

年始は1月4日(日)からです。

緊急の場合、予約その他は、電話等で連絡してください。

℡ 077-558-8766 または 050-3767-6283

携帯℡ 090-7357-4540

メアド:lacan_msl☆yahoo.co.jp ☆を@に変換したメールアドレスにメール送信願います(スパムメール対策


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福岡出張のお知らせ(平成21年1月)

毎月1回、福岡出張セラピーを行っています。

平成21年1月の福岡出張は以下の予定です。

日 時 : 1月20日(火)、21日(水)、22日(木)

場 所 : 地下鉄天神駅周辺(詳しいことは電話等にてお問い合わせください)

分析料 : 10000円 (プラス交通費2000円)

福岡近郊で分析を希望される方、おられましたらご連絡ください。

ひきこもり等により、外出が困難な場合は、お宅への出張セラピーを行います。

遠方への出張であるため、福岡でのクライアントの方には分析料プラス2000円の交通費の負担をお願いしています。


同時に、子育て相談室(旧名称 母親教室)・インテグレター養成講座も開いています。

興味・関心のある方、参加希望の方は下記へお問い合わせください。

℡ 077-558-8766 または 050-3767-6283

携帯℡ 090-7357-4540

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京都 子育て相談室(旧 母親教室)日程変更のお知らせ(平成21年1月)

2009年1月の子育て相談室の日にちを1月13日(火)に変更します。

日 時 : 1月13日(火) 10:30-12:30

場 所 : 京都府京都市 JR京都駅周辺  

参加費 : 1,000円(1回:2時間 完全予約制)

子どもさんの年齢に関係なく、子育てに関しQ&A方式で相談会を開催しています。

日常の些細な事から、不登校、ひきこもり、非行、神経症など何らかの悩み、問題に答えます。

興味関心のある方、参加誹謗の方は下記へご連絡ください。

電話:077-558-8766 または 050-3767-6283

携帯:090-7357-4540


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分析家の独り言 177 (自分を成長させる)

自分に対して他人は勝手なイメージを持って、それを押し付けてくる。

しっかりしてそう、明るくて元気、一人で何でもできる、おとなしくていい子・・・。

様々なイメージを持たれて、それにあわせてしまう、その期待された自己像に自分が応えなければと思うという人が結構いる。

これは鏡の関係で言えば、鏡像の側に自分がとらわれているようなもの。

鏡像を自分だと思っている、しかしそれはあくまでも鏡に写った自分の姿であって、鏡の裏には何もない。

本来自分は鏡の外にいて、実体として存在しているはず、それがない。

これではまるで幽霊ではないか。

実体がないため、人の言葉が気になる、人から自分がどう見られているかに腐心する。

自分に自信がない、もちろん肯定感もない、自分というものがない。

不安定で、誰かに何かを言われれば一瞬で吹き飛ばされてしまいそう。

それらに共通するのは、ほめられたことがない、つまり承認と賞賛がなかった。

自己を尊重されることもなかった。

自己を尊重されるとは、自分の考え、感じ方、欲望を認められるということ。

「あなたの考え、感じ方、何かをしたい・欲しいということは正常で、当たり前のことです」と承認されること。

これを実践するのがオールOK!子育て法。

人にはそれぞれたくさん良いところや無限の可能性がある。

それが育ってくる過程(家庭)の中で、発揮されず、埋もれていくことが残念でならない。

子ども時代になら、親にオールOKされることでしっかりとした自我を形成できるが、大人になってしまった私たちが今からオールOKされるのは難しい。

だからこそ、大人になってから自分探しの旅に出て、本当の自分に会いに行くことから自分を成長させられる。

私は分析を通して、それを知った。


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2008年12月21日

分析家の独り言 176 (人生を楽しむ)

子どもは親を選べない。

できることなら、やさしい母と父の元に生まれ、物理的にも精神的にも苦労することなく、すくすくと育つことができれば良いが。

ある人は、幼くして母を亡くし、またある人は父を亡くし、失意の中で生きていくことを余儀なくされる。

母、父は居ても、苦しい思いをして子ども時代を過ごし、死にたいと思いつつ生き延びる人もいる。

十代そこそこで突然父を亡くしたあるクライアントは、自分の人生に何がいつ振ってくるかわからないと思ったという。

安心して生きるとは、自分以外の人のこと。

そして、人が当たり前にできること、あることが自分にはない。 

大きな欠損を抱えた自分。

だから人並み以上に頑張らないと、と必死で走ってきた。

仕事も頑張ったが、その犠牲になった子どもたちがいた。

仕事仕事で子どもたちのことは後回し、そんな中で「あんたこんなことしてたら、いつか大変なことになる」と、どこかでもう一人の自分がささやくのを聞いてきた。

案の定、子どもが荒れた。

母親とはどういう生き物なのか?

こうあって欲しい母と、現実の自分の母は違っていた。

分析に出会い、オールOKを教えられるままやっているうちに、母親とはこんなにいいものだったのかと思った。

そして今、安心感と安定感が自分にあるという。

むやみやたらに自分に欠けているところを埋めようとしてきたが、今は頑張らなくても人並みに、0(ゼロ)の位置に立てた。

楽しめるようにもなった。

些細なことが楽しめるようになった、これを積み上げていくことを幸せというのだろう。

欠損した人は、日々楽しむことができず、幸せを教えてもらわないとわからない。

クライアントにとって人格を高めることが=分析という。

分析家である私も、「幸せになりたい」、「このままでは終われない」、「一花咲かせたい」と、ひたすら分析を通して自分を見つめてきた。

クライアントのいう「楽しめることの喜びと幸せ」を、より多くの人に味わってもらいたいと願う。


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2008年12月20日

分析家の独り言 175 (子どもは親をなどる)

(以下の文章は、クライアントの了解を得て掲載しています)

講座の内容を録音するために、クライアントがICレコーダーを買ったという。

夫に頼んで買ってきてもらい、夫が説明書を読んでクライアントに説明してくれた。

「ふん」「ふん」「それで、どうするの」とICレコーダーに手を伸ばそうとすると、夫はクライアントに触らせないかのようにICレコーダーを遠ざける。

それが何度かあり、「あれっ?」とクライアントは思った。

クライアントの中で、「なぜ?」の問いかけが始まる。

手にとって、実際に操作してみないとわからないのに、何で夫は自分に触らせないのか。

クライアントいわく、夫は自分が得た知識や経験したことを人に教えるのが下手、夫も物を人に教えることが嫌いと言う。

夫はけちで、人に自分が苦労して得た事を教えるのが嫌いなんだと、クライアントは言う。

「それは何でだろう?」また問いかける。

夫の養育史、家庭環境を考え、優秀なお兄さんと格闘してきたことを思うと、こうなるかもと思った。

しかし前なら、まず夫のものの言い方、態度(触らせない)にカチンときて、それを責めていた。

ところが、今はそれが起きない。

それより、「なぜ、こういう言動をとるのだろう?}に意識が行く。

いろんなことを合わせ考えて、「こういう可能あるよな、それならこうなっても仕方ないかも」と思うと、腹立つ人(夫)が、案外いとおしくなる。

さらにクライアントは考えた、今まで夫の気に入らない言動を攻め立ててきたけれど、これってもしかしたら、自分の母親が父親にガミガミ言っていた口調と同じじゃないか。

自分ひとりが頑張っていることで、この家がもっているかのような言い方をする母の言葉を、小さい頃から聞いてきた。

決して良い気持ちはしなかったのに、自分も夫にそうしてきたかもしれない、と思うと恐いと言った。

よくこのクライアントは自ら気がついてくれた。

子どもであった私たちは、こうして親からの影響を受けている。

もっと言えば、親のコピーとなって生きている。

自分は違うと思っていても、親の夫婦関係を再現している可能性は大きい。

それとともに、夫婦共謀が止まらない。

例えば、夫からすれば「お前がこの家を一人できりもりし、頑張るから俺は頑張らなくてもいいやろ」

妻は妻で、「あんたが頼りないから、私が頑張るしかない」

これで夫は何時までたっても、男性性を発揮できず、妻の影に隠れ人としても成長できない。

妻も、男勝りで夫をけなし、共に協力して家庭を営むことができない。

共謀は必やがて行き詰まる。

その裏には、夫婦互いの克服されていない早期幼児期の外傷状況や葛藤がある。

これを分析によって見ていき、明らかにすることで、夫婦の共謀、葛藤は止まる。

そこに気が付きだしたクライアントの一例である。

(夫婦関係の精神分析 /ユルク・ヴィリィ /法政大学出版局  を参照
またはインテグレーター養成講座 「夫婦共謀」で解説)

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